きりがない時間の節約

いつの頃からか日本人は時間の節約に熱心だ。いつって多分小学生の頃から。だって、うちの子供も「そんな事するなんて時間の無駄だ!」なんて、すでに言うようになっている(親が言っているからだろうか?)
仕事をしていても、たとえ5分でも10分でも早く終わらせようとする。何のため?次の仕事にとりかかるためだ。そうすれば、同じ時間内でより多くの仕事ができる。あるいは次のステップへ進むことができる。本当だろうか?
今朝車での通勤途中、なかなか開かない踏み切りにつかまってしまった。早く事務所へ行って、現場での仕事に出かける準備をしたいのだが、その時間が少なくなってしまう。ここで踏み切りが開くまでもう少し待つべきか、回り道をして踏み切りを避けるべきか、さんざん迷ったあげく踏み切りを避ける駅前を通るコースにきりかえた。ところが予想外にこのコース、いつもは渋滞する駅前もスイスイと通りぬけることができ、順調に進むことができた。
その時まず最初に思ったこと。「なんだ、こんなに空いているなら、もう5分早く決断していればそれだけ早く事務所に到着できたのに。」でもその5分でいかばかりのことができたのか?
それから一応考え直した。「ほんとは渋滞していてもおかしくない道をスイスイ行けたのだから、そのことをまず、よかったと思っていいんじゃない?」と。
前回も書いたように、一つの仕事や用事をやり終えたことについて、自分がどのくらい満足したか確認してみる。あせって次やることをすぐに考えてしまったら、そりゃ多少多くの仕事ができるかもしれないが、でも、一日が終わったときの心の満ちたり感っていうのは、どちらの方が上かな?
いつも追われるようにして仕事をしていたら何のための仕事か。自分の、自分の時間を使ったという、充実感、満足感が残るような毎日を送れたなら、いいんじゃない?より多くの仕事をこなしても、それが自分の時間という実感がないままに過ぎていってしまったら、誰かに時間泥棒されているんだ。こんな話、ミヒャエル・エンデの『モモ』にあったよね。