仕事について

fitness さんの日記にちょこちょこコメントを書かせてもらっている。書いてあることの内容が自分でもかなりすんなりとわかるからだ。「2005-5-10 仕事に思う」http://d.hatena.ne.jp/fitness/20050510について、ここでコメントを書いてみます。
○6年間のデスクワーク
 私は現在現場の仕事をさせてもらっているのだが、つい1年前まではネクタイを締めてデスクワークの日々を送っていた。その期間実に6年間。よく耐えたものだ。去年ようやくその仕事から解放され、元の現場の仕事に戻った。おかげさまでこの1年で精神状態も少しずつ戻りつつある、といったところだ。はっきり言ってこの6年間の間に(もちろん自分にも責任はあるのだが)フロアの人間関係に疲れ、途中薬のお世話になったこともあった。fitnessさんの言うように、「自分は何のためにこんな仕事をしているのだろう」という気持ちが強くあった。書類を起案し、上司のはんこをもらいに行く。自分のやったことの結果が現場の仕事に比べると非常に分かりにくい、実感として感じられないのだ。
○仕事の選択は自由にできる?
 自分の仕事が「こんなものではなかった」と思って会社を飛び出し、独立する人の話はテレビや雑誌でよく紹介されているが、少なくとも私にはそんな度胸はなかった。そういう場合、どうするか?
1.趣味や地域活動(あるいは家庭?)に生きる
 つまらない仕事は休日や会社がひけてからの時間が案外自由になるものだ。そこで自分を出せるものに熱中する、自分の存在意義の手応えが感じられるものを見つける。
2.大人になる
 現在の仕事はそういうものだと割り切って、事務的にこなして悩まない。そつなくこなしていれば給料はもらえる。そして、やりがいのあるような仕事が来るチャンスをしたたかに待つ。なんて書いてみたけど、これはかなり高等戦術だと思う。仕事の質もさる事ながら、いっしょに仕事を進めるスタッフとの人間関係が、かなり重要なウエイトを占めると思われるからだ。一番難しいところではないか?
○どんな仕事も気の持ちよう
 なんか安易なタイトルをつけてしまったが、私が去年現場に復帰したとき、それはもう「ありがたい、ありがたい」の一心だった。今見ればなんでもない牧場が、当時は北海道にあるような広々としたすばらしい牧場に見えたものだ。その時の気持ちは忘れずにいようと思う。多少調子が悪いときも、「農家をまわれるだけの健康」と「ほんとに憂鬱でしょうがない、とまでいかない精神状態」さえあれば、一日無事に過ごせると確信している。ところが、診療所の同僚はこんな私から見ればなんでそんなことで愚痴をいうのかな?ということで、不平不満を大声で話す声が気になってかなりの苦痛だった。特に農家の悪口は耐えられなかった。去年の今頃はまだ私も精神的におぼつかない時期できつかったなあ。でもそのくらいにならないと立派な現場の職員になれないのかな?

 なにか最後は焦点がぼけてしまいましたが、自分が思うような状況が周りにないことで、怒ったり憂鬱になることは何の足しにもならないそうです。そもそも完璧に周りをコントロールすることは無理、肩の力を抜きましょう、実践できるかな?